近野兼史プロフィール ●創設者 近野兼史 太平洋戦争末期戦争は激化し、日本の平和を願い、故郷を慕いながら多くの尊い命が犠牲となっていきました。帝国軍人として南海の孤島ガタルカナルのラバウル作戦に参加、明日の命さえどうなるか分からない状況で、奇跡的に命あって復員しました。それからは少々なことにも恐れることなく進んでまいりました。
昭和32年、米沢市初のスーパーマーケット「かくだい食品」を設立し、夫婦二人全エネルギーを投入し努力してきました。地元のお客様からのご支援は、私たち企業が発展していく原動力となっていきました。以来、真の商人であり続けたいとの熱意と努力で現場主義に基づいた人材育成を行ってきました。 昭和32年にオープンした「かくだい食品株式会社」はその後10店舗以上になる。 昭和48年、ジャスコ株式会社との合併により、カクダイジャスコ株式会社を設立し、米沢市を中心としていた今迄の範囲を拡大していきました。初めての仙台進出にあたり、激しい反対運動にあいながらも、ジャスコの東北地区の基礎をつくりあげていきました。 昭和後半「私たちの街は、私たちの手で」というスローガンのもと、故郷の街作りが提唱されており、米沢市中心街再開発の提案を行いました。商店街開発の為に役立てようと準備していた資金を一部拠出したものの、これまで育てて下さった故郷への御恩をお返ししなければとの想いが深く将来の教育振興会へと発展する事になったのです。 「人に対する報恩感謝の念」・「地域社会に対する奉仕の念」 この2つの信条こそ近野兼史の一貫とした理念であり、それは「財団法人近野教育振興会」の設立へと結実していきます。 ●近野兼史略歴
●表彰等
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