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近野兼史プロフィール

近野兼史●創設者 近野兼史

 太平洋戦争末期戦争は激化し、日本の平和を願い、故郷を慕いながら多くの尊い命が犠牲となっていきました。帝国軍人として南海の孤島ガタルカナルのラバウル作戦に参加、明日の命さえどうなるか分からない状況で、奇跡的に命あって復員しました。それからは少々なことにも恐れることなく進んでまいりました。

舞鶴湾
舞鶴湾
金剛院
金剛院

太平洋戦争時、「半舷上陸」の折り、舞鶴金剛院の細川幽斎の住める離れに寄宿し、大僧正より「報恩感謝の念」を深く心に刻む。

 昭和32年、米沢市初のスーパーマーケット「かくだい食品」を設立し、夫婦二人全エネルギーを投入し努力してきました。地元のお客様からのご支援は、私たち企業が発展していく原動力となっていきました。以来、真の商人であり続けたいとの熱意と努力で現場主義に基づいた人材育成を行ってきました。

かくだい食品株式会社

昭和32年にオープンした「かくだい食品株式会社」はその後10店舗以上になる。

 昭和48年、ジャスコ株式会社との合併により、カクダイジャスコ株式会社を設立し、米沢市を中心としていた今迄の範囲を拡大していきました。初めての仙台進出にあたり、激しい反対運動にあいながらも、ジャスコの東北地区の基礎をつくりあげていきました。

 昭和後半「私たちの街は、私たちの手で」というスローガンのもと、故郷の街作りが提唱されており、米沢市中心街再開発の提案を行いました。商店街開発の為に役立てようと準備していた資金を一部拠出したものの、これまで育てて下さった故郷への御恩をお返ししなければとの想いが深く将来の教育振興会へと発展する事になったのです。

「人に対する報恩感謝の念」・「地域社会に対する奉仕の念」

 この2つの信条こそ近野兼史の一貫とした理念であり、それは「財団法人近野教育振興会」の設立へと結実していきます。

●近野兼史略歴

大正13年 9月 山形県米沢市に生れる
昭和17年 3月 山形県立米沢興譲館中学校(現・米沢興譲館高等学校)卒業
20年 3月 官立無線電信講習所(現・電気通信大学)卒業
20年 4月 充員招集にて南方戦線に転戦 8月召集解除
21年 4月 米沢高等工業専門学校(現・山形大学工学部)講師
22年 7月 株式会社カクダイ本店取締役
32年 7月 かくだい食品株式会社創立 代表取締役
36年 7月 米沢商工会議所議員
40年 4月 かくだい商事株式会社創立 代表取締役
45年 6月 マルエイ物産株式会社創立 代表取締役
45年 6月 米沢青果株式会社取締役
45年 10月 有限会社グリーン観光創立 代表取締役
45年 10月 ショッピングビル株式会社代表取締役
46年 10月 有限会社グリーンフーズ創立 代表取締役
47年 2月 米沢中央駐車場株式会社取締役
47年 12月 カクダイジャスコ株式会社代表取締役
48年 5月 ジャスコ株式会社取締役
49年 7月 仙台商工会議所議員
57年 4月 平和通り駐車場協同組合理事
57年 5月 株式会社オートマラマライフ宮城代表取締役
59年 6月 コニーショップ株式会社創立 代表取締役
60年 3月 株式会社シグマ取締役
60年 5月 ジャスコ株式会社顧問
平成 4年 6月 財団法人近野教育振興会設立 理事長
5年 2月 米沢市青少年問題協議会委員(〜平成8年6月30日)

●表彰等

平成 9年 4月 日本赤十字社銀色有功賞拝受
9年 11月 米沢市功労賞として表彰
平成26年 11月 紺綬褒章受彰
米沢市功績者として表彰